ふけ防止クリーム
フケを防止し、髪に栄養と潤いを与えます。かゆみを和らげ、毛幹を強化し、抜け毛を抑制します。
使い方 : クリームを、円を描くように、優しく頭皮にマッサージして下さい。
同社の、アンチダンドラフシャンプーでシャンプーをするとよりよい結果が得られます。
メヘンディとはヒンドゥー語でヘナアートの事で、女性の足や手等に消える模様を塗料で描く事です。
塗料ですので、描いた直後は綺麗に柄が出ていますが、日を追うごとに薄くなっていくナチュラルタトゥーの様なものです。
この絵を描く事がインド人女性なら誰でも出来ます。ヘナ(塗料の名前)は使わないにしても、ボールペンでよく手に模様を描いてもらいました。
最近は日本でもこのアートが流行ってきているようで、フェス等に行くと日本人がメヘンディの催し物を開催されていますが、消えるタトゥーと名売って、夏休みの間だけ楽しめるボディーアートとして描いてくれる様です。
また、マタニティーアートと言って、お腹が大きい時にお腹にメヘンディをして、記念撮影をするなんて事も流行っているみたいです。
こうしてインドの文化が日本で経験できるようになる事はインド好きの私としてはとても嬉しいのです。
全10回に及び、私のインド体験をご紹介させて頂きました。他にもインドでこんなのはどうなっているの?等日本の方が興味をもたれる事があれば、また機会があればご案内したいと思います。
長らく長文、乱文にお付き合い頂き誠にありがとうございました。
カースト制度は日本の士農工商の様な制度で、4つのカースト身分以下の人を作り、その人たちに比べたら一番低い身分の人でもまだ地位が高いんだよ、と思わせるための仕組みです。
カーストは苗字でわかる為、カースト制度が廃止された今でもカーストは残っています。
洗濯屋さん、トイレ掃除屋さん、と言う苗字の人たちがいるそうです。
基本的に身分が低い家庭にはお金がない為、小さい頃から子供も働かなければいけません。学校に行く時間もお金もないので、貧乏の子供は貧乏のままです。
今回はこの話と痴漢の話を絡めて書きますが、インドでは確かに体を触られることが多かったです。でもこれは、外国人女性がインド人女性の様にサリーの布で肌を隠す事をせずに、暑いからとノースリーブでうろうろしたりしているので、外国人女性は触ってもOK!と思っているらしい事と、インド人同士だと、カーストの問題があるので、自分より身分の高い人の体を触ったら大変な事になるので、外国人だとカーストフリーだからOK!と思っていると聞きました。
私は全く触られてOK!とは思えない体質ですが、インドを歩き回っている様な日本人女性は、その様な事を物ともしない、タフな方が多かったです。
だから触られるのかなと思いました。
日本人女性の皆さん、海外ではその国を代表していると思って、慎ましくお過ごしくださいね。
触られた時の対応としては、恥ずかしいな、みたいな態度を取っていると喜んでいると思われるので「やめろ!!」と本当に怒って嫌がっていると言う事を伝える事です。そうすると、何だよ触ってほしいのかと思ったぜ、みたいな顔をされます。。
ヒンドゥー教で牛は神様ですから、牛を粗末に扱ってはいけませんし、ヒンドゥー教徒は牛を食べる事が出来ません。
インドの約6割の人がヒンドゥー教を信仰していると言われています。そして約3割がイスラム教徒、残り1割が仏教やキリスト教を始めその他さまざまな宗教を信仰しています。
仏教徒は全体の約3%と言われますが、インドの人口は10億人を超えていますから、仏教徒だけでも3000万人いらっしゃる事になります。
イスラム教徒は、ブタを不潔な動物だとみなしているので、ブタを食べません。ですので、インドのレストランではビーフやポークを使ったメニューはほとんどありません。
ノンベジ(菜食でない)料理に使われているのは、鶏肉か羊肉が主流です。
私が昔インドを訪れた頃(2002年と2003年)、首都のデリーには人と共に牛が溢れていました。
牛にどけ!と言えないのはインドの大半の人がヒンドゥー教徒だからなのですが、この数年後、さすがに首都のデリーは牛さんの往来を優先していると都市開発が遅れてしまうとか、首都としての美しさが損なわれるとの事で、デリーの牛さんをデリーから排除しました。
デリー近郊に移動させたり追いやったのだと思いますが、あっち行け!とやってはいけない牛さんを退かせたと言う話が全く理解できなかったりするのです。
その後2008年にデリーを訪れた時、排除出来切れなかった牛さんが町の片隅で迷子になっていました。恐らく移動させた時には茂みに隠れていた赤ちゃん牛だったのかな?と思いますが、牛を神だと思っていない私でも一頭残された牛はとても可愛そうに思います。
信仰している宗教がバラバラなので、インドではこれはご法度だよと言う事が逆に無い様な気がしました。カーストの低い人が、カーストの高い人に逆らう事はご法度らしいですが。。次回はカーストの話をします。
インドだけではないですが、海外個人旅行中は、金銭的なやり取りでもよくもめ事が起こります。
2泊して3日目の朝にチェックアウトしようとしたら、3日間居たから、120ルピー×3で360ルピーだねとしれっと言ってくるので、2晩なので240ルピーでしょと言うと、そうだ240ルピーだと面白くも何ともない一悶着があります。この場合は故意にぼられそうになっているのですが、単純に計算ができていない場合も見受けられます。
レストランでも会計時によく見ないと、間違っている時があります。私はそろばんをしていたのでレストランでの計算位なら暗算で出来るのですが、確か20の位の掛け算まで空で出来ると聞いていたインド人達は揃いも揃って暗算が出来ません。。
それは多分レストランで働いている人だからだと思います。もっと難しい仕事をしているオフィスワーカーたちはきっと高度な計算が出来るのでしょう。
貧乏旅行をしている私はつまらない物は極力買わないでおこうとしていますので、お土産物屋等に行くと、高いじゅうたんや大理石が並んでいて、到底私が買うわけも無い様な物がたくさん売られています。お金ない、と言うと、ヴィザ!と言って来ます。持ち合わせのお金がないならカードで払えるよと言う話ですが、絶対に買いません。
それより腹が立つのは、象に乗った絵を描いたんだ、買うか、と見せてきて、100だよ100と言って来て、100ルピーと言えばランチが10回食べれる程の相場ですから、そんな価値はないわと思わせる様な絵なので、この絵が100ルピーなの?と言うと、100ドルだよと言ってくる人が3日に1回位居る事です。本当に腹が立ちます。
有名な話ですが、デリーのお土産屋さんでお土産を物色していると 店員に切れられます。何故切れられるかと言うと、こちらは何かないかなと思って見ているけど、何か買いたいから見ているのだと向こうは思います。これ幾ら?なんて聞こうものなら、100ルピーだ、「そうですか」と言うと買わないのか80ルピーならどうだ、50ルピーだ、20ルピーだとなって、内心別にそこまで欲しくないんだよね。。と思いながら、幾らか聞いてみただけと言うと、何故買う気もないのに値段を聞いたんだ!!と喧嘩になります。煩わしいのでデリーのお土産屋さんには立ち寄りません。
後から気付いたのですが、私のインド人の友達は日本で観光をしていた時、私が東京土産何かあるかなと、買うかどうかも分からない土産物屋さんを見ていた時に、その店に入る事さえしませんでした。何も欲しくないから見ない。私たちは知らない土地に行くと何か誰かに買って帰ってあげようと思います。そのあたりの感覚の違いですかね。。
インドで寺院を拝観している時、どこからともなく近所の人が現れ説明をしてくれる事があります。勝手に説明されて後でガイド料とか言われると嫌なので取りあえず断りますが、タダでいいよと言ってくれる人もいます。
一度私がヒンドゥー教の寺院にバスで訪れていた時の事、バスの中で制服を着た学生と話をしました。この寺に行くんだよと言ってガイドブックを見せていて、降りるバス停が彼の家と同じだったので一緒に降りました。バイバーイと言って寺を見物していると、さっきの男の子が私服に着替えて話しかけてきました。
インド人の顔は全部同じに見えるし、私服に着替えた彼はただの大人の男にしか見えず、誰よ、あっち行ってよ!ガイドして欲しくない!となりました。
そしたらさっきバスの中で話した僕だよ、制服を着て外国人と話をしていると目立つから、着替えて君にこの寺の話をしてあげようと思って来たんだよと、地元のガイドが居た方が知識も深まるでしょ、と寺を案内してくれました。
彼だけでなく、どこからともなく現れた親切なインド人が案内をしてくれる事があります。何の寺か分からずに見ていても、ここは学問の神様を祀った寺なんだ、ここは、富の神様の寺なんだ、と教えてくれて、私が日本人だと知ると、知恵の神様サラスヴァティーは、弁天様、富の神様クーベラは毘沙門天だと言う事を教えてくれた人が居ました。
日本の七福神は、日本人の顔をしていますが、元はインド人の顔をした神様達だったんですね。それを和風に変えて馴染み易くして、恵比寿様を加えて七福神は日本で浸透したと言われています。七福神の中では恵比寿様だけが純日本製の神様なのでした。
私はツアーでインドに行った事がないので、この様な話を聞くと、経験の幅がぐっと広がります。
個人でインドに行ってインドが大嫌いだ!と言っている人をたまに見かけますが、インドは紛れもなく日本のルーツだと思います。それを嫌う事は自分自信を嫌っている事だと思うのです。インドの事をよく知りもせずに、嫌いにはなってほしくないのです。
私のインド日記は回を追うごとに内容は過激になっていきます。苦手な方はご購読をお控えください。
火葬場で人を焼いているのを見ました。私が泊まっていたホテルは8階に屋外レストランがあったので、こちらで食事をしていると、その様な臭いが漂って来た事もありました。何故、この様な場所にレストランがあるのか、そんな事がどうでもよくなるのがインドです。
亡くなった人は、布にくるまれ、顔だけ出した状態で沢山の人に参列されて火葬場まで運ばれて来ます。そこにはキャンプファイアーの時の木の枠組みがあり、そこに二つ折りにして入れられた死体は2時間ほどで焼かれ、その後は灰を、目前に流れている聖なるガンジス川ささっとほうきではいて火葬が終わります。そう、インドにはお墓がないのです。
ただ寿命を全うしなかった人は焼けないらしく、子供とか、毒蛇に噛まれたとか、交通事故で亡くなった人は、そのまま遺体をガンジス川に流すらしいです。
観光地ですから、ボートでガート(沐浴場)が見物できます。このボートに乗っているとたまにオールに何か引っかかるそうですが、そりゃ引っかかりもするよね、燃やせないし。。ぐらいのノリです。
この火葬場のすぐ下流にメインガート(沐浴場)があります。またその下流でほうれん草を洗っているのを見ました。その辺りがインドが神秘的と言われるゆえんですよね。
ガンジス川の水は汚すぎて、コレラ菌も長くは生きていられない程の水質だそうです。この川の水で洗った野菜を食べたんでしょうから私もすごいなと思いますが、雨季にはこの川は氾濫し、建物の1~2階部分までは水面下になり、3階以上で過ごすこともあるとの事ですがその時期には不衛生さ極まりない状態になっていると思うので雨季のインドには足が向きません。
最後に、ヒンドゥー教では輪廻転生を信じていないそうですので、寿命を全うした人は燃やして終わりで、途中で亡くなった方は、生まれ変わるので、燃やさずに流して生まれ変わると言う考えらしいです。なんだかよく分かるような分からない様なインドでありますが、日本でおなじみの七福神は元々ヒンドゥー教の神々なのです。次回はヒンドゥー教の神様の話をします。